マツムラ通信

そりゃあやっぱり他人は気になる。でも・・・

昨年の秋くらいから悶々としていることがあって
この年始に、それが爆発した形となった。

自分はこんなに深く願っているのに、なぜ実現しないのか?
それをどうして他人はやってのけるのか?
それを特に望んでいなかったのに、タナボタ式に手に入れることができて、ずーっとすごく想っている私には手に入れられないのは、どういうこと?

もう50にもなるというのに、こうやって他力本願で考えるなんて、なんて情けないのだろう。

なので、(自分なりに)冷静にも考えてみた。なんでこんなに悶々とするのだろうか?と。

周りが悪い?
環境が悪い?
手に入れた人への嫉妬?
なんだかわからないけど、手に入れられない自分が劣っているように感じる?

正直、多分きっと、単純に「嫉妬」なんだと思う。
特に、「努力もなし」に「タナボタ式」に実現してしまったから。

「嫉妬」って一番やっかいだ。
気持ちを収めるには、自分にもそれが起こることしかない。
起こらない限りは、大なり小なり嫉妬し続けるのだろう。

・・・と、ここでハタと気づいた。
ずっと「起こる」モードできているけど、自分で起こすことはできないのか?
つか、起こらなかったのは、自分が動かなかったからじゃないの?

え、だってあの人は自分で起こさなかったのに起こったじゃん?

そうだとしたら、あの人にとっては、私が望んでいることは、少しも魅力的でないかもよ。
逆に、なんでこんなことが起こっちゃったんだろう?って思ってるかも。

自分がこうしたいと願うことが、他人も同じく欲しているとは限らないし。

「そもそも、人のお役目はそれぞれ違うからね。」

これは、私が(勝手に)メンターと思っている女性からの言葉。

前もそうだった。

子供を持たなかったことに対して、人間として強い劣等感を持った時期があったが、その時も彼女から
「松村さんには別の役目があるということだから」
と言われた。

今ある環境、今やっていること。
もしかすると、自分が選んできたように見えて、実は背負った役目の通りに生きているのかもしれない。

そして、もしそれを変えたければ、やっぱり能動的に動くしかない。
受動的に「起こる」ことを待つ年齢では、はっきり言ってないのだ。

それは、単に50年という人生を経てきての大人としての対応だけでなく、折り返しを過ぎた年代として、もうぼやぼやうじうじ悩んでいる時間はない、ということ。
他人の人生にフォーカスしているヒマはないのだ。

「嫌なら、やるしかないよね。覚悟しなさい。腹くくりないさい。」
とは彼女の弁。

で、二人で立てました、これから半年の行動計画。

そして言われました「行動を起こせば、必ず何かが動き出す」。

もう、常に自分。自分がどうしたいか。どうするか。

他人に構っている場合じゃない。

店長松村恭子

私が書いています

松村恭子
1966年11月山口県生まれ。丙午のさそり座で、超気性は激しいはずですが、実際は…?

2009年よりながいきや本舗店長として、たくさんのお話をお伺いしています。

また、TCマスターカラーセラピスト、食育指導士としても活動しています。

家族は旦那。夫婦二人を謳歌中です。

最近のお知らせお知らせ一覧